心の宝箱

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手越くんの「夜に駆ける」が好き過ぎる

手越くんが歌う「夜に駆ける」が好き過ぎる



聴き終えてすぐにもう一回聴きたい!

ってなるのは、これまでの歌ってみたもそうだったんだけど、今回は聴き終わったあとの渇望感がより激しい。今もまだずっと聴いてるよ。




【歌ってみた】夜に駆ける/YOASOBI covered by 手越祐也




手越くんが歌ってみたを精力的にあげてくれるようになって強く思ったのは、彼の歌はその作品の世界観を、第三者の視点ではなく、作品の内側の視点で魅せてくれるアーティストだということ。その物語に対する手越くん自身のリアルな立ち位置は第三者なんだよ? だけど、彼が奏でる歌は物語の主人公なの。



だから、手越くんの「夜に駆ける」は手越くん自身が純粋に「僕」として歌ってるようにわたしには感じる。物語の読者の心も、制作者の心も入っていない、純粋な「僕」の心だけで歌ってるように感じるの。




わたし、彼女の笑顔が見れたあとの落ちサビからラスサビにかけて、何度聴いても泣けてしまうし、最後は絶望じゃなくて希望に満ちて幸せすら感じるんだけど、それって、彼女の笑顔が「僕」にとっての夜明けだったというのが、手越くんの歌声から強く感じられるからだと思う。


彼女の笑顔がどうしても見たくて、でも何をしても、どんな言葉をかけても、彼女は笑顔を見せてくれなくて、絶望の中「終わりにしたい」と言葉にしたのをきっかけに、やっと笑顔を見せてくれて。それが泣けるほど嬉しくて、その笑顔で「僕」は絶望から解き放たれて、その瞬間が最高に幸せで、幸せの真っ只中にいる、みたいな「僕」の心の中を映すように手越くんは歌ってると思うんよね。



彼女の笑顔が見れた時点で「僕」の夜は明けてるから、結末として、ふたりが助かろうがふたりで今世を終えようが、そこはもう「僕」にとっては絶望じゃないの。聴いてる方が結局ふたりで命落としてしまう「悲しい歌」と解釈しても、この曲のふたりは最後幸せなんよね。命を自ら絶つことを肯定してるわけじゃないよ。純粋に「僕」は幸せなんだろうなーというのを歌詞だけじゃなく、歌でも感じるの。



笑顔を見た瞬間、音が止んだあとの落ちサビで、目に涙を溜めるように水分多めで歌うボーカルと、解き放たれて歓喜すら感じるラスサビの歌声に、まだ物語が続くような希望を見てしまったもん。


きっと、手越くんの歌声を通して流れ込んできた「僕」の心を、やっと闇から解き放たれたね、光の世界だねって、わたしはそう解釈してラスサビで泣けるんだと思う。



歌声でこんなにも物語を見せてくれるアーティストなかなかいない気がするよ。



俳優さんで言うならば役が憑依するというのを、手越くんは意識的にも無意識的にも歌でやってるんじゃないかな。そこに手越くんの作品に対するリスペクトをわたしは感じるんだよね。

実は繊細で、人の心の機微を感じ取ることに長けてる手越くんだからこそ、出来ることなんだろうなと思う。そして、天性の才能に加えて、納得いくまで努力する、努力の天才なんだなあっていうのを、歌詞に書き込んでた数字を見て、改めて思ったし、さらに惚れたよ。


いつか楽曲制作のドキュメンタリーが見られるなら、見てみたいなあ。きっと音ひとつ、言葉ひとつに対してわたしたちが思ってる以上に愛を注いでるんだろうな。



もはや
手越くんの歌ほんと上手いから聴いて欲しいー!
っていう境地から
手越くんの歌で一緒に幸せになろう?
って感覚になってきたなぁって
TwitterYouTubeで綴られてるファン以外の方の感想を見ていて思った。




手越くんほんとに歌で世界救えそう。






ちなみに、過去の歌ってみた動画の炎/紅蓮華で「主人公の炭治郎が無惨の格好して歌ってる…」ってコメントがあったのも、虹でのび太くんの格好で歌ってるときは主人公ののび太くんが柔らかい笑顔で歌ってるように感じるのに、手越くんの格好で歌ってるときは楽曲に手越くんの想いを重ねて歌ってるように感じるのも、楽曲を完全に自分の中に落としきって、作品の内側の人として歌ってるからだろうなあと思う。



楽しいね。


なんかほんと幸せだなあ。


手越くんの芯があるのにカメレオン俳優的な七変化する歌の魅力を、めいいっぱい受けとることが出来て心から幸せだよ。



どんどん歌ってほしいな。



そして、
感動した!これも歌ってほしい!
っていう日本中、世界中からの愛が手越くんに届いてほしい*1





そして、手越くんの歌に惚れた方には
ぜひライブに足を運んでほしい。





生の現場での手越くんの歌はやっべーーーから!



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*1:昨日のInstagramでファンじゃない人からの声が届いてるのを喜んでいて、ほんとうに嬉しかった!